子どもが自分で選んだ服が、どんなにヘンでも、あなたは、笑わずにいられますか?
朝、保育園に行く時間。
「ママ、今日、これ着ていく!」
そう言って、子どもが持ってきたのは、
- 水玉模様のTシャツに、チェック柄のズボン。
- 夏なのに、モコモコのセーター。
- 左右で違う色の靴下。
「え…?それ、本当に着ていくの…?」
「ちょっと、それは、ヘンじゃない…?」
つい、笑ってしまったり、着替えさせようとしてしまったり。
そして、そのたびに、子どもの、不満そうな顔を見て、「あーあ、またやっちゃった…」と、自己嫌悪に陥る。
3姉妹の母である私も、毎日、この「子どもの服選び問題」と、格闘してきました。
特に、長女が、自分の意思で服を選び始めた頃は、その奇抜なセンスに、正直、戸惑うことばかりでした。
でも、ナースとして、そして、母として、たくさんの子どもたちと接してきた中で、私は、あることに気づいたんです。
それは、子どもが自分で選んだ服が、どんなにヘンでも、絶対に笑わないこと。
そして、その選択を尊重することが、子どもの「センス」や「自己肯定感」を育む上で、非常に大切なことなのだ、と。
今日は、そんな、子どもの服選びに悩むママへ。
子どもの個性を尊重し、自己肯定感を育むための、親の対応法について、お話しさせてください。
子どもが自分で服を選ぶのは「自己表現」の始まり
まず、知っておいてほしいこと。
それは、子どもが自分で服を選ぶことは、単なる「わがまま」ではありません。
それは、子どもにとって、「自分らしさ」を表現する、大切な行為なのです。
- 「自分は、これが好き!」という、強い意思。
- 「自分は、こうありたい!」という、自己表現。
これらは、子どもが、一人の人間として、自我の芽生えを迎え、自己肯定感を育む上で、非常に大切な第一歩です。
だからこそ、子どもの服選びを、頭ごなしに否定するのではなく、その裏にある、子どもの気持ちに、耳を傾けることが大切なのです。
親が笑ったり、否定したりすると、どうなる?
子どもが自分で選んだ服を、親が笑ったり、否定したりすると、どうなるでしょうか。
子どもは、
- 「自分のセンスは、変なんだ」
- 「自分は、間違っているんだ」
- 「ママは、私のことを理解してくれない」
と、無意識のうちに、感じてしまう可能性があります。
その結果、自分の個性を表現することを諦めてしまったり、自己肯定感が低下してしまったりすることも、少なくありません。
自分の個性を表現することは、生きていく上で、非常に大切なスキルです。
そのスキルを、親の対応によって、摘んでしまわないように、私たちは、少しだけ、心の持ち方を変える必要があるのかもしれません。
子どもの「センス」を育む!親の対応3つのヒント
子どもの服選びは、親にとって、時に、頭を悩ませる問題かもしれません。
でも、それを「センスを育むチャンス」と捉えることで、親の心も、少し楽になります。
ヒント1:どんなにヘンでも、まずは「いいね!」と肯定する
子どもが選んだ服が、どんなに奇抜でも、まずは、「いいね!」「可愛いね!」「〇〇ちゃんらしいね!」と、肯定することが大切です。
親に肯定されることで、子どもは、「自分の選択は間違っていない」「自分は認められている」と感じ、自己肯定感を高めます。
ヒント2:「どうしてそれを選んだの?」と、子どものこだわりを聞く
子どもがその服を選んだ理由を、「どうしてそれを選んだの?」「どこが好きなの?」と、聞いてみましょう。
子どもが、自分のこだわりや感性を、言葉で表現する機会を与えることで、親は、子どもの個性を理解し、子どもは、自分の選択に自信を持つことができます。
ヒント3:「TPO」を教える。でも、強制はしない
普段着と、お出かけ着、フォーマルな服など、TPO(時・場所・場合)に合わせて服を選ぶことの重要性を、優しく教えましょう。
「今日は、おばあちゃんの家に行くから、こっちの服の方が、素敵に見えるかもね」
「公園で遊ぶ時は、汚れてもいい服の方が、思いっきり遊べるよ」
と、選択肢を提示し、子ども自身に考えさせる機会を与えましょう。
決して、強制するのではなく、子ども自身が納得して、選べるようにサポートすることが大切です。
服選びを通して、子どもが学ぶこと
子どもの服選びは、親にとって、時に、頭の痛い問題かもしれません。
しかし、それは、子どもが、
- 自分の意思で選択すること。
- 自己表現すること。
- TPOをわきまえること。
など、社会性を学ぶための、大切な機会でもあります。
子どもが自分で選んだ服がどんなにヘンでも、絶対に笑わないこと。
それが、子どもの「センス」や「自己肯定感」を育む第一歩です。
親は、子どもの個性を尊重し、温かく見守ってあげること。
その姿勢が、子どもの心を豊かに育み、将来、自分らしく輝ける大人へと成長させてくれるのだと、私は信じています。
