「おめでとう」の言葉が、鉛のように重かったあの日々
我が子の誕生は、人生で最も幸せな瞬間のはずでした。
それなのに、私の心は、晴れることのない分厚い雲に覆われていました。
理由もなく涙が溢れる。
可愛いと思える日と、可愛いと思えない日がある。
「母親失格だ」と、毎日自分を責め続ける。
夫の「手伝うよ」という言葉にさえ、ナイフのような苛立ちを感じる。
今思えば、それは典型的な「産後うつ」の症状でした。しかし、渦中にいる私は、そのことに気づくことすらできませんでした。
この記事は、特別な誰かの話ではありません。かつて、暗くて長いトンネルの中で、一人でもがき苦しんだ、私自身の物語です。もし、今あなたが同じような暗闇の中にいるのなら、この体験談が、ほんの少しでも出口を照らす光になることを願っています。
私が「産後うつ」の沼に沈んでいった理由
完璧な母親にならなければ。その強迫観念が、私を追い詰めていきました。
- 睡眠不足: 24時間体制の授乳と夜泣きの対応で、心と体は常に極限状態でした。
- 社会からの孤立: それまで当たり前だった社会との繋がりが絶たれ、狭い部屋の中で赤ちゃんと二人きり。誰とも話さない日が続きました。
- ホルモンバランスの乱れ: 出産による急激なホルモンの変化は、感情のジェットコースターを引き起こしました。
- 理想と現実のギャップ: SNSで見る「キラキラした育児」と、自分の現実との差に絶望しました。
「つらい」と認めることは、「母親失格」の烙印を押されることだと思い込んでいたのです。
暗闇のトンネルを抜けるために、私がした「たった3つのこと」
そんな私が、少しずつ光を見出せるようになったきっかけは、本当に些細なことでした。
1. 「母親」を、やめてみた
ある日、どうしても涙が止まらなくなり、私は夫にすべてをぶちまけました。
「もう、無理。母親なんて、やめたい」
その言葉を聞いた夫は、驚くほど冷静にこう言いました。
「分かった。今日は俺が母親になるから、君は休んでていいよ」
その日から、私は「完璧な母親」を目指すのをやめました。
一日くらい、冷凍食品でもいい。
部屋が散らかっていても、死にはしない。
泣いている赤ちゃんを、夫に任せて耳栓をして寝たっていい。
「〜べき」という呪いの言葉から自分を解放した時、心が少しだけ軽くなりました。
2. 「助けて」と、声に出してみた
一番勇気がいったのが、外部に助けを求めることでした。
私は、地域の保健師さんに電話をかけました。
「つらいです。もう、どうしたらいいか分かりません」
震える声でそう言うと、電話の向こうの保健師さんは、ただひたすら、私の話を黙って聞いてくれました。そして、「つらかったですね。よく、頑張りましたね」と、たった一言だけ言ってくれたのです。
誰かに自分の弱さを認められ、受け入れてもらえた経験。それが、固く閉ざしていた私の心の扉を、少しだけ開けてくれました。
3. 「自分」の時間を、取り戻した
夫や一時保育の助けを借りて、私は週に一度、たった2時間だけ、一人になる時間を作りました。
最初は、何をすればいいか分かりませんでした。
でも、ただカフェでぼーっとしたり、好きな音楽を聴きながら散歩したりするうちに、忘れていた「自分」の感覚が少しずつ戻ってくるのを感じました。
子どもと物理的に離れる時間は、罪悪感ではなく、再び子どもを愛おしいと思うための、大切な「充電期間」だったのです。
まとめ:今、暗闇の中にいるあなたへ
もし、今あなたがかつての私と同じように、暗いトンネルの中にいるのなら、伝えたいことがあります。
そのつらさは、あなたのせいじゃない。
あなたは、決してダメな母親なんかじゃない。
どうか、一人で抱え込まないでください。
パートナーに、親に、友人に、地域の専門機関に、誰でもいい。勇気を出して、「助けて」と声を上げてください。
母親である前に、あなたは一人の人間です。
あなたが笑顔でいること。それが、赤ちゃんにとって、何よりの栄養になるのですから。
夜が明けない朝はありません。
その暗いトンネルには、必ず出口があります。